心と体

2009年2月16日 (月)

コネタマ・チェンジするなら、やっぱりアレでしょう!

こんばんは。

私がチェンジしたいものはやっぱりアレですね。人間以外の何かになりたいです。そうですね、特に山の中の石ころとかいいですね。

つまらない俗世間にとらわれず、ただ静かに地球の行く末を見守る。無生物ですから痛みはありません。暑くも寒くもありません。飢えも乾きもありません。

風や水に浸食されることはありますが、細かく砕かれた体は砂となり、静かに消え去るのみ。

世の中はちょっと騒がしすぎます。そして忙しすぎます。もっとゆったりと時間を過ごし、地球と一体になる。やがて地球がなくなっても、宇宙の一部として悠久の時と空間の中を漂い続ける。

そういうのって、いいと思いませんか?

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

コネタマ参加中: あなたが“チェンジ!”したいものは何?

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2008年11月24日 (月)

『不可解』なのは、個々の物差しで判断するから

こんばんは。

元・厚生次官やその家族の殺傷事件の犯人と思われる男が警察に出頭しました。連日、テレビや新聞などのニュースでいろいろと報道されていますね。

まだ彼が殺傷事件の犯人と確定していませんが、話の内容やナイフの所持などを考えれば事件と全く無関係ではなさそうです。少なくとも、もし別の犯人をかばっている(あるいは一人で罪を被ろうとしている)としても、その真犯人を知っているわけですしね。

さて、この関係のニュースでよく聞く言葉が「犯行の動機が不可解」というものです。

銃刀法違反で逮捕された今回の犯人は、出頭前に各メディアにメールを送っていたそうです。そこにあった犯行の動機は30年以上前にペットを保健所に殺されたその仇討ちだとの事。

元・厚生次官と保健所にはそんなに大きな関連性はありません。しかもかなり昔の出来事を犯行のきっかけにしています。

確かにマスコミや一般の人の多くはそんな事で殺傷事件の動機になるのかと疑問に思うでしょう。しかし私は別に不思議だとは思いません。充分、ありえることだと思います。

もちろん、私には犯人の気持ちは理解できません。でも理解できないからといって彼の行動のきっかけがおかしいとは言えません。なぜなら、理解できないというのは我々の物差しで出来事を判断しているから。

彼の中では、『ペットを殺されたという事』についての怒りや恨みの感情は大きなものであり、『保健所→厚生次官が悪い』と思う考え方もそれが正しいと信じてしまっているのです。

つまり動機も殺傷する対象も『それが当たり前』だと考えているのです。当たり前だと考えているのですから、それ以上の事を追求しても答えようがないのです。

彼の考え方は、我々(少なくとも私)とは相容れません。だから我々の物差しで物事を判断すれば『不可解』と感じても当然なのです。

例えば、「なぜ君は空を飛べないの?」と訊ねられたらなんと答えますか? それに対して「翼がないから」と答えたとします。

では「なぜ翼がないの?」とさらに訊ねます。これを明確に答えるには生物学者や哲学者などでなければ難しいかもしれません。

世の中には不可解な事だらけです。でもその全てに対して明確な答えがあるわけではありません。また、答えがなくても我々は生活しているわけです。

彼のような考え方の人間がいても不思議ではないし、それが我々にとって不可解だとしても彼にとってはそれが不可解であるとは限らないのです。また、逆に言えば彼には、我々の考え方の方が不可解かもしれないのです。

 

ここで大切なのは、何が正しくて何が正しくないのかは別問題だという事。

単に『殺すという行為』そのものは自然界では当たり前にあることであって、否定してはいけません。野生の動物や人間だって生きていくために他の生物の命を奪っています。

でも彼のした『殺すという行為』は日本という国の人間社会の中では許されていません。それはみんなで生活していく上での決まりごとです。だから守らなければならない。

さまざまな考え方を持つこと自体は自由ですが、禁止されている事をしたら罰せられる。そういう縛りの中で生きているんです。

 

物事の真意は案外、単純なもの。ただ、そこに個々の持つ物差しで判断するからややこしくなる。

だから『犯行の動機が不可解』なのは当然であって、必ずしも我々が納得できる答えになるとは限らないのです。

不可解だから『実は共犯者がいるのではないか?』『本当の動機が別にあるんじゃないか?』と決め付けるのはミスリードにつながるのではないかと思います。もちろん、そういう可能性も否定はしませんし、個人的には共犯者がいるのではないかとも思ってます。

でも『彼は本当のことを言っている』という可能性を否定してもいけないのです。

我々が理解できないから彼の言う事はおかしい、というのは個々の物差しで見ているから。だから様々な物差しで見て、考えてみるという事が大切なのではないかな、と思います。

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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2008年4月17日 (木)

今、くいのない人生を送っていますか?

こんばんは。

先日、某所で理想の死に方と嫌な死に方という話が出ました。年齢構成は二十代以下が多くを占めています。

その中で多くの方の理想の死に方は家族に看取られて床で死ぬというものでした。一方、嫌な死に方は事故死などということでした。

年齢が若ければ、まだまだやり残した事がたくさんあるので突然に死ぬというのが嫌なのでしょう。でも考えてみてください。世の中は何が起こるかわからない。いつ自分の身に不幸が襲い掛かってくるか分からないのです。

なのに、なぜ一日一日を精一杯生きようとしないのでしょう。明日があるという事を当然のように考えているからではないでしょうか。

病気や事故はある日、突然にやってきます。だから今を満足いくように生きてみてはいかがでしょうか。

明日の太陽を拝める事は素晴らしい事なのです。そこにあって当然というものは、失ってみて気付くもの。皆さんはどうお考えですか? 

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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2008年3月24日 (月)

荒川沖の事件・警察の対応・専門家の言葉

こんばんは。

先日、JR常磐線荒川沖駅で死傷事件が発生しました。うちからそう遠くもない場所なので他人事ではありません。ですので、これについて少し個人的な感想を述べたいと思います。

まず、警察の対応ですが、あの人員数ではやはり事件を防ぐのは難しかったのではないかと思います。もっとも、出入りをする駅利用者の数を考えれば犯人発見の確率は低かったのではないかと。荒川沖駅はかなり利用者が多いですからね。

ですから、完全に警察の対応が悪かったとは言い切れない面があります。

町の人の意見では警察が一方的に悪いと言っている人がいます。もちろん、対応の悪さは否めませんが、一方的に非難するのも違うような気がします。

ただ、事前に犯行予告があった事もあり、もう少し別の対応(制服警官の配置など)もあったのではないかと思います。人員の配置・配分も犯人の行動範囲に重点を置くなどの考慮はすべきだったのではないでしょうか。

また、指名手配の写真が古いものだったとの事ですが、それじゃ、現在指名手配されているほかの事件の犯人の写真も古くて使えないんじゃないの? と不安になります。これは大問題ですね。

一方、テレビのニュースなどで犯罪の専門家がコメントしてましたが、それについても少し疑問があります。犯人がゲームに熱中していたそうですが、それに対して、

「ゲームと現実の区別が付かなくなっているのでは?」

「ヒーローになりたかったのでは?」

みたいなコメントがありました。私は「なに、時代遅れのコメントしてるんだ?」と思いました。

私の個人的な見方ですが、犯人はけっこう頭がいいと思います。最初の事件を起こしてから変装したり、荒川沖駅での逃走経路が警察の盲点を付いています。

事件を起こしたという事実は利口だとはいえないかもしれませんが、個々の行動を見れば非常に頭がいい点が見られます。

事実、もし犯人からの連絡がなければ逮捕できなかったかもしれないんですから。

現実と空想の区別が出来ていなかったのとは少し違うと思います。犯人はそれくらいの区別、付いていると思いますよ。

ゲーム好き=ゲームの世界やバーチャルの世界との……、というのは安易な考え方ですね。じゃ、ゲームが好きな人の多くが事件を起こしたりするのでしょうか。以前も残虐な描写のあるアニメが放送禁止になったりしましたが、それだけの影響でみんなが事件を起こすのなら、日本は終わってますよ。

もし、ゲームの影響があるというのなら、

1.きっかけになった(あくまで漠然とした、あるいは、引き金に過ぎないという意味で。主人公になりたかったというのではありません)

2.事件を起こした結果が想像できない(人が怪我をしたり、死んでしまった時に取り返しが付かない事だと犯行前に想像できない)

3.自分にも事件が起こせるのではないか、という自信(錯覚)

4.自暴自棄になっての気晴らしなど

が想像できます。また、こうして事件を簡単に許してしまい、なおかつ逮捕できなかった警察側にも問題があります。こんな対応だと模倣犯が出るんじゃないか、と思います(今朝、どっかで通り魔事件があったようですが、直接の因果関係が不明のため、現時点では荒川沖の事件とは無関係としておきます)

今回の事件で気になったのは、ゲーム好きということと事件との関係を簡単に結び付けてしまっている報道です。それはちょっとどうかと思います。報道の仕方に偏りがあるのではないでしょうか。

実は、先日、東京湾で河川を不法占拠していたおじさんに行政代執行が行われたというニュースがありました。あれだっておじさんだけが悪い、みたいな報道の仕方でした。取材をしていた記者もそういう視点での質問をおじさんにしていました。

それを見たコメンテーターのおばさんもおじさんの非難ばかり。それは視点が偏っていませんか? 確かにおじさんは法律に違反しています。それはそれで問題があります。だからといって報道の仕方はそれでいいのでしょうか。

今まで放置していた行政・警察などの対応のまずさや、おじさんのような人が減らない社会の問題、今後のおじさんの行き先(保護の先)の問題、捕獲されたおじさんの飼い犬の今後など、おじさん以外の社会問題にも目を向け、中立な立場で報道するのが記者や報道機関の役割ではないでしょうか。

悪人を突っつけばそれだけでニュースにはなるでしょう。そうではなく、もっと様々な視点から見てみないといけないのではないかと思うのです。

特にコメンテーターみたいな人こそそういう点を注意したりコメントするべきなのに、今回のコメンテーターのおばさんのようにおじさんに攻撃をして終わりというのでは意味がありません。だからこそテリー伊藤さんみたいに客観的なコメントをする人こそ必要なのだと思います(常に客観的とは言い切れませんが)。

事件を素直に捉える事は大切ですが、さらに、その裏に潜む問題にも目を向けなければなりません。それが報道(ニュースや新聞など)の見方だと思います。鵜呑みにしていたら操作されてしまいます。

情報が多い分、その中からいかに取捨選択し、考察していくかが大切になるのではないでしょうか。

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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2006年5月 8日 (月)

座禅せば

皆様こんばんは。

久しぶりにしばらく見ていなかったDVDを十数分だけ見ました。というのもあるきっかけで座禅について考える事があったからです。その時にかつて某作品内でそのことについて触れられている事を思い出し、その部分だけ見たのです。

某作品について知っている人と座禅に興味がある人なら聞き覚えがあるかもしれません。それは大徳寺の開祖・大燈国師の言葉です。

「座禅せば 四条五条の 橋の上 往き来の人を 深山木に見て」

この意味が分からなくて少しだけ調べました。「深山木(みやまぎ)」というワードで「深山木(ふかやまぎ)薬店」という何かの小説ばかりがヒットして少し困りましたけどね。

このうたの背景として、大燈国師のいた時代に出家した人と在家の人とどちらが偉いかという議論になったそうです。次第に座禅をするには出家した方がいいということになったらしいのですが、大燈国師はそんな議論を批判してうたたったそうなのです。

うたの意味をものすごく簡単に言うと、座禅には場所は選ばないんだよ、どんな場所でも座禅が出来る場所なんだよってことらしいです。

そこで、最初に出てきた某作品の言葉。このうたにはさらに境地に至るうたがあるそうです。

「座禅せば 四条五条の 橋の上 往き来の人を そのままに見て」

つまり行き来の人を「深山木」に見てしまうことに無理があるのです。だから「深山木」と見るのではなく、他人は他人としてそのままに受け止めよという事らしいのです。他人は他人としてそこに存在し、自分は自分としてそこに存在する。

これらの二つのうたですが、すごく深いんだなぁと考えてしまいます。私は座禅の事や仏教にそんなに興味があるわけではありませんが、調べてみると面白いなぁと感じました。ただ、あまりにも情報が少なすぎてこれで正しいのかどうか分かりません。

だれかこれらのうたについて詳しくご存知の方がいらっしゃればお教えいただきたいです。なんか久しぶりに京都に行って、大徳寺の方に直接お話を聞きたくなりました。今度の長期旅行の候補の一つは京都ですね。

大燈国師のお寺だからこそ一休さんのような偉いお坊さんがいたのかもしれませんね。一休さんの考え方に近いような気がしますしね。

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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