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2008年11月28日 (金)

ぬいぐるみ役者さんを参考にした方がよかったような……

こんばんは。

先日、家事用ロボットが芝居を演じるというニュース? のようなものを見ました。その際に制作者側がパントマイムの演者にいろいろと意見を訊ねるというものがありました。

確かに表情のないロボットがセリフを棒読みしても、何の感情も伝わってきませんよね。ある意味、掲示板やブログと似ているかもしれません。だからこそ言葉なしで表現するパントマイムへ注目したのだと思います。

でもそれならば、なぜ一番最初にぬいぐるみ役者さんへ訊かなかったのでしょうか? 以前にもブログに書きましたが、ぬいぐるみ役者さんは言葉を発せずにいろいろな感情を表現しています。

今回のロボット演劇にはパントマイムよりもぬいぐるみショーの方が近いのではないでしょうか? そこに制作者さんは気がつかなかったのでしょうか?

人間であれば表情や言葉の抑揚などで伝えようとします。パントマイムでは言葉を発せなくても表情は作ることが出来ます。

一方、ぬいぐるみ役者さんは言葉も表情も使えません。でも泣いたり笑ったり、感情を表現できています。ですからこちらの方が参考になると思うんですけどねぇ。

それにしても、ロボットの進化はすさまじいですね。各分野に特化した機能だけ比べれば、人間にかなり近付いてきていますし。

個人的には楽しみでもあり、少しだけ怖くもあります。はてさて、この先のロボットはどういう方向に進むのでしょうかねぇ。

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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2008年11月27日 (木)

裁判員制度の候補者に通知が発送

こんばんは。

ニュースなどでも取り上げられていますが、来年から開始される裁判員制度の裁判員候補者への通知が明日に最高裁判所から発送されるそうです。

賛否両論があると思いますが、国民の裁判への参加は民主主義国家にとって重要な事項ですから、個人的には賛成です。

中には一般人が裁いてよいのか、専門家に任せた方がいいのではないか、裁判の結果によって裁判員に精神的な負担を与えないか、など様々な意見があります。

そうした意見を聞くと、裁判が他人事だとか余計な事にかかわりたくないとか、そういう印象を受けたりもします。結局はみんな自分本位なのではないかと思います。

もちろん、自分が一番かわいいというのは理解できますし、私にだってそういう面がないとは言えないでしょう。でも少しでも自分が司法へ参加する、他人のために参加する姿勢というのがあってもいいと思うのです。

私は下町の人間です。それが影響しているのか、近所の人たちや町会の人たちとともに地域のために色々な活動に参加するというのが大好きです。ついついおせっかいをやいてしまうこともあります。別に助け合いの精神だなんてハイカラな事ではなく、ほうっておけないという感じでしょうか。

昔の日本では『隣組』じゃないですが、全国各地で当たり前のように地域の人々が助け合っていました。それがいつしか、世知辛い世の中になってしまいました。

隣人の顔を知らない、近所付き合いがない、地域のルール(例えばゴミ捨てなど)を守らない、階段から落ちても誰も声をかけない、痴漢を見ても気付かない振りをする、近所の子どもがイタズラをしても叱らない、その子どもを叱った場合に親が逆ギレをする。

これも時代の変化なのでしょうか。個人的には寂しい気がします。

地震など、災害時にはボランティアや救援物資の提供、義援金などで助け合う心を見ることができます。ですからまだ完全に助け合いの心が失われているわけではないはずです。

それなら自分も裁判に参加して、共に考えるという事をしても良いのではないでしょうか。

裁判は人を裁くだけが目的ではありません。それに、被害者、加害者と共に事件を考え、今後のよりよい社会づくりのための手助けをする、そう考えてみてはいかがでしょうか。

いくら社会のため、といってもやはり不安を感じている人もたくさんいると思います。

冤罪者を生んでしまう場合もあるかもしれません。でも逆に救えるケースだってあるはずです。どちらにしても、その時に関係者が共に一生懸命に考えて、話し合って、その時点で自分の正しいと信じた事なのですから、胸を張っていいと思います。

むしろ「自分には荷が重過ぎる」と感じてくれる人の方が一生懸命に真摯に裁判に向き合ってくれるはずです。

いずれにせよ、今後、皆さんの理解や自分自身の意識を深めていく必要があるのかもしれません。

裁判員制度の話をニュースで聞いて、私はこんな事を思いました。

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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2008年11月24日 (月)

『不可解』なのは、個々の物差しで判断するから

こんばんは。

元・厚生次官やその家族の殺傷事件の犯人と思われる男が警察に出頭しました。連日、テレビや新聞などのニュースでいろいろと報道されていますね。

まだ彼が殺傷事件の犯人と確定していませんが、話の内容やナイフの所持などを考えれば事件と全く無関係ではなさそうです。少なくとも、もし別の犯人をかばっている(あるいは一人で罪を被ろうとしている)としても、その真犯人を知っているわけですしね。

さて、この関係のニュースでよく聞く言葉が「犯行の動機が不可解」というものです。

銃刀法違反で逮捕された今回の犯人は、出頭前に各メディアにメールを送っていたそうです。そこにあった犯行の動機は30年以上前にペットを保健所に殺されたその仇討ちだとの事。

元・厚生次官と保健所にはそんなに大きな関連性はありません。しかもかなり昔の出来事を犯行のきっかけにしています。

確かにマスコミや一般の人の多くはそんな事で殺傷事件の動機になるのかと疑問に思うでしょう。しかし私は別に不思議だとは思いません。充分、ありえることだと思います。

もちろん、私には犯人の気持ちは理解できません。でも理解できないからといって彼の行動のきっかけがおかしいとは言えません。なぜなら、理解できないというのは我々の物差しで出来事を判断しているから。

彼の中では、『ペットを殺されたという事』についての怒りや恨みの感情は大きなものであり、『保健所→厚生次官が悪い』と思う考え方もそれが正しいと信じてしまっているのです。

つまり動機も殺傷する対象も『それが当たり前』だと考えているのです。当たり前だと考えているのですから、それ以上の事を追求しても答えようがないのです。

彼の考え方は、我々(少なくとも私)とは相容れません。だから我々の物差しで物事を判断すれば『不可解』と感じても当然なのです。

例えば、「なぜ君は空を飛べないの?」と訊ねられたらなんと答えますか? それに対して「翼がないから」と答えたとします。

では「なぜ翼がないの?」とさらに訊ねます。これを明確に答えるには生物学者や哲学者などでなければ難しいかもしれません。

世の中には不可解な事だらけです。でもその全てに対して明確な答えがあるわけではありません。また、答えがなくても我々は生活しているわけです。

彼のような考え方の人間がいても不思議ではないし、それが我々にとって不可解だとしても彼にとってはそれが不可解であるとは限らないのです。また、逆に言えば彼には、我々の考え方の方が不可解かもしれないのです。

 

ここで大切なのは、何が正しくて何が正しくないのかは別問題だという事。

単に『殺すという行為』そのものは自然界では当たり前にあることであって、否定してはいけません。野生の動物や人間だって生きていくために他の生物の命を奪っています。

でも彼のした『殺すという行為』は日本という国の人間社会の中では許されていません。それはみんなで生活していく上での決まりごとです。だから守らなければならない。

さまざまな考え方を持つこと自体は自由ですが、禁止されている事をしたら罰せられる。そういう縛りの中で生きているんです。

 

物事の真意は案外、単純なもの。ただ、そこに個々の持つ物差しで判断するからややこしくなる。

だから『犯行の動機が不可解』なのは当然であって、必ずしも我々が納得できる答えになるとは限らないのです。

不可解だから『実は共犯者がいるのではないか?』『本当の動機が別にあるんじゃないか?』と決め付けるのはミスリードにつながるのではないかと思います。もちろん、そういう可能性も否定はしませんし、個人的には共犯者がいるのではないかとも思ってます。

でも『彼は本当のことを言っている』という可能性を否定してもいけないのです。

我々が理解できないから彼の言う事はおかしい、というのは個々の物差しで見ているから。だから様々な物差しで見て、考えてみるという事が大切なのではないかな、と思います。

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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2008年2月21日 (木)

真実は闇の中

こんばんは。

ここのところ、テレビでは海自と漁船の衝突事故や中国製食品の問題が取り上げられることが多いですね。ニュース番組の最初の数十分はこの二つの話題で過ぎてしまいます。それだけ重要な問題だという事なんですけど。

まず、海自のイージス艦と漁船が衝突した問題。現時点ではイージス艦側の過失が濃厚ですね。それにしても、なんで役人はミスを認めようとしないのか。そしてなぜ隠蔽しようとするのか。

あれだけ証拠品(漁船、イージス艦の傷、目撃証言など)があるにもかかわらず、真実を隠そうとするのか。隠しきれるものではないでしょう。

問題なのは危機管理体制。もし敵国やテロ組織からの攻撃を受けた時、こんな状況だと日本は何も出来ずに一方的にやられてしまいますよ。

さて、もう一つの話題。中国製食品問題ですが、こちらも真実を隠そうとしていますね。こんな状況でオリンピックをして大丈夫なんでしょうか。最近、さらに不安なのはサッカーの試合で中国のサポーターとマスコミの対応が偏っている事。おそらく、この状況は改善されないでしょうね。

こうした真実を隠そうとしたり、捻じ曲げようとしたりするのはなぜでしょう。これは政府に限ったことではなく、それを報じるマスコミ自体にもないとはいえません。

例えば、何かの新商品発売の発表会見があったとしましょう。そのとき、CMやイメージキャラクターとして女性芸能人が起用されます。すると(ピー)なマスコミは新商品のことよりも芸能人の写真や芸能人のことばかり報じます。

「あんたら、なにを取材に行ってるの?」と言いたくなります。しかし彼らはこう答えるでしょう。

「あ? 芸能人に決まってるだろ。――新商品? 興味ねーよ」

これは全てのマスコミではなく、一部なんですけどね。結局は需要と供給の問題。売れる記事を書くために売れる内容を取材する。それだけ。

でも、それってマスコミ関係者としてどうなんでしょう? 真実を取材し、それを報じる。こんな大切なことが「カネ」や「権力」というもののせいで捻じ曲げられる。世の中は真っ直ぐで愚直なだけでは生きていけない。でもそんな世の中がいい世の中なのでしょうか。

真面目に生きている人間ばかりが損をする世の中。社会というのはなんて理不尽なんでしょう。平和な世の中、住みやすい世の中、それは幻想なのかもしれません。

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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