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2011年2月 4日 (金)

吾輩は……

こんばんは。

――吾輩は読書が嫌いである。理由は特にない。

この文は夏目漱石の『吾輩は猫である』をパロった一文です。原文に関しては多くの日本人が知っている純文学の名作で、学校で習ったという人もいるでしょう。

そう、この一文にあるように私は読書が嫌いなのです。物語を書くのは好きなのに、読むのはそんなに好きではありません。

とはいえ、部屋には本が溢れていて、全く読書をしていないというわけではありません。単に読むのが嫌いなだけであって、読む行為自体はしているのです。

また、私の読書の仕方は最初から最後までを通して読むのではありません。もちろん、そういうオーソドックスな読み方をする場合もありますけど、全文を読まずに中途半端なままで終わっている本も少なくありません。

私としては、

「なぜ一冊の本を全文読まなければならないのか?」

「なぜ最初から最後へと読み進めなければならないのか?」

と思う事があります。

本というものは連続モノでなければ基本的に一冊でストーリーが完結します。その一つのストーリーの中で、読んでも面白くないって感じる部分もあるし、もっと深く読みたいと思う部分もあります。

パラパラとめくって止めたその部分周辺をなんとなく読む、そういう読み方が私は好きなのです。そういう意味もあって、自分の読み方に合わない電子書籍は私には合わないと感じているのですけどね……。

創作には一定の読書量はあったほうが良いでしょう。でも一冊全部を読む必要があるのかと思う事が多々あります。

何文字読んだ・何冊読んだ、というのは目安としては分かりやすいものです。達成感を味わうという意味でも有効でしょう。

ただ、そこから何を得るかというのは別問題で、多く読めばそれだけ得るものを多く出来る可能性は高められるでしょうが、必ずしもそれだけではかることの出来ないものもあると感じています。

これは今までに何度か述べてきた『情報の取捨選択』ということにも関わってきます。

なにより、私は記憶力がないので脳に何か新しく詰め込むとその分古い記憶がすっ飛んでしまいます。だから読書量の多い人には頭が下がります。

そんな事もあって私は本を買って読むよりも、立ち読みが合っていて大好きなのです。読書という行為は嫌いでも立ち読みは好き。かなり変わってるかもしれません。

そしてそんな小さなきっかけにも拘らず、まれにいい本と出会ったりします。その時の感動は単にとにかく買って読むという事では味わえないものがあります。もちろん、そういう本は買います。

まれにとはいいますが、実は意外にそういう本を引き当てる事は多いのです。人生でもそうした幸運を引き当てられたらいいんですけどね。

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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