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2009年1月 3日 (土)

想像力の欠如と思い込み

こんばんは。

2日の夜、テレビで放送されていたピラミッドの特集を見ました。メキシコや南米でのピラミッドの話に始まり、途中からエジプトのピラミッドの話へと展開しました。

それを見ている中で個人的に「この人は何を言ってるんだ?」と疑問に思った箇所がありました。

それは南米で、現時点では世界最古のピラミッドが発見されたという話題が終了した直後の事でした。

某考古学者さんがコメントをしたのですが、それが非常に疑問だったんです。その主旨は、

・石を切り出して重ねて作ったエジプトのピラミッドと、石を縄でまとめて重ねて作った南米の世界最古のピラミッドは違う(しかも技術的にはエジプトのピラミッドの方が優れているかのように取れる内容)

・その世界最古のピラミッドのような構造のものはピラミッドではないにしろ、エジプトにはもっと古い時代からある

といったような事でした。

なんなんでしょう、このエジプト至上主義のような発言は。技術的にどちらが優れているとか、エジプトには南米のピラミッドよりも古い似たようなものがあるとか、そんなコメントは期待してないんですが。

ピラミッドとして、エジプトよりも古いものが南米で発見されたことが気に食わないんですか? そういう歴史の古いものがエジプト以外にあってはいけないんですか?

重要なのは「今から5000年以上前に、南米でピラミッドが存在していたらしい」という事であって、それ以上でもそれ以下でもないのです。この南米の世界最古のピラミッドはまだ発見されて間もないらしいですから、今後の研究が進めばいろいろと新しい発見があるでしょう。そして非常に興味深いですね。

この某考古学者さんが言うような、エジプトのピラミッドと比較して技術がどうだとか、そんな事は訊いちゃいないし、どーでもいいんです。世界最古のピラミッドがどういうものなのか、目的はなんなのか、そういうことに多くの人は興味があるんじゃないでしょうかねぇ。

また、メキシコのテオティワカンのピラミッドとエジプトのピラミッドは共に太陽信仰があったと放送されていました。その中でこの某考古学者さんは、

「二つのピラミッドに関連性があると考えるのは素人。つながりがあったとはいえず、別々のものだ」

というような事を「言い切って」いました。

……それは某考古学者さんの「持論」でしょう? まだハッキリとした事が調査され尽くされているわけでもないのに! 

最初からいろいろな考え方を排除して一つの結論(もっと言えば自分の仮説)に誘導しようとしている、と私は感じました。

例えば、地理的に考えれば、世代を重ねれば技術や文化の移動が不可能だとは言えないでしょう。別に二つの文明の年代がぴったりと一緒である必要はないわけですし、言い切るのならその根拠となったデータや資料を紹介すべきです。

なんの根拠やデータも示さずに「関連性はない」と言われたって説得力はありませんよ。

専門家が言った事が全て正しい、そんな訳はないでしょう。実際、歴史というものはあくまで後世の人がさまざまな資料や根拠をもとに想像しているだけであって、真実とは限りません。

だから少なくとも某考古学者さんには、その結論に至った経緯などを示してほしいのです。ただ単に「○○である」と言うだけなら誰だって出来ますよ。

第一、今回の話の場合、二つの文明に共通点があるという時点で「二つの文明には関連性がある」という結果の方が理解しやすいわけですから。それをくつがえして「関連性がない」というからにはそれなりのデータを示してほしいわけです。

事実、かつて学校や本などで教えられた歴史の中には、後になって誤りだったと判明(もちろんこれも真実かどうかは確定できませんが)したこともあるでしょう。例としては天動説と地動説の話やパンゲア大陸、ダーウィンの進化論など、大きなものだけでもたくさんあります。細かいものに至っては無数にあります(聖徳太子や足利尊氏の肖像画についてなど)。

大切なのは、様々な考え方を排除するのではなく、たくさんの仮説を念頭に置きつつ研究するという事ではないでしょうか。発見されたものはそのまま発表し、それに対する一人の研究家の「仮説」として示すべきです。

それをあたかも自分の説が絶対に正しいというような言い方はいかがなものか。また、他の説を排除したり、他の文明と比較して技術レベルがどうだとかコメントしたりするような行為に何の意味があるのか。

また、むしろ素人のもつ「純粋な想像や単純な疑問」を大切にすべきです。専門家になるとどうしても知識や経験が邪魔をして考え方が固定化するものです。素人だからこそ、しがらみのない意見や感想が言えるのです。

ぶっちゃけ、歴史なんてものは不完全なものであって真実は誰にも分かりません。だって自分の目で見たり、耳で聞いたりしているわけではありませんからね。情報操作や歴史の改ざんなんていくらでも出来ます。

現在発見されているデータや資料だってそれが全て正しいとは言い切れません。ゆえに「○○の歴史は○○らしい」という方が正確なのでしょう。

そういう意味で、歴史というのは想像力が非常に必要ですし、常に変化する学問ともいえます。答えは無限に存在するのです。

一つの考え方を押し付けたり他の説を排除したりするような学者さんの姿勢は――特に歴史や考古学などの分野では――非常に致命的な事ではないのか。番組が終わってから私はそんな風に思いました。

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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