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2008年11月24日 (月)

『不可解』なのは、個々の物差しで判断するから

こんばんは。

元・厚生次官やその家族の殺傷事件の犯人と思われる男が警察に出頭しました。連日、テレビや新聞などのニュースでいろいろと報道されていますね。

まだ彼が殺傷事件の犯人と確定していませんが、話の内容やナイフの所持などを考えれば事件と全く無関係ではなさそうです。少なくとも、もし別の犯人をかばっている(あるいは一人で罪を被ろうとしている)としても、その真犯人を知っているわけですしね。

さて、この関係のニュースでよく聞く言葉が「犯行の動機が不可解」というものです。

銃刀法違反で逮捕された今回の犯人は、出頭前に各メディアにメールを送っていたそうです。そこにあった犯行の動機は30年以上前にペットを保健所に殺されたその仇討ちだとの事。

元・厚生次官と保健所にはそんなに大きな関連性はありません。しかもかなり昔の出来事を犯行のきっかけにしています。

確かにマスコミや一般の人の多くはそんな事で殺傷事件の動機になるのかと疑問に思うでしょう。しかし私は別に不思議だとは思いません。充分、ありえることだと思います。

もちろん、私には犯人の気持ちは理解できません。でも理解できないからといって彼の行動のきっかけがおかしいとは言えません。なぜなら、理解できないというのは我々の物差しで出来事を判断しているから。

彼の中では、『ペットを殺されたという事』についての怒りや恨みの感情は大きなものであり、『保健所→厚生次官が悪い』と思う考え方もそれが正しいと信じてしまっているのです。

つまり動機も殺傷する対象も『それが当たり前』だと考えているのです。当たり前だと考えているのですから、それ以上の事を追求しても答えようがないのです。

彼の考え方は、我々(少なくとも私)とは相容れません。だから我々の物差しで物事を判断すれば『不可解』と感じても当然なのです。

例えば、「なぜ君は空を飛べないの?」と訊ねられたらなんと答えますか? それに対して「翼がないから」と答えたとします。

では「なぜ翼がないの?」とさらに訊ねます。これを明確に答えるには生物学者や哲学者などでなければ難しいかもしれません。

世の中には不可解な事だらけです。でもその全てに対して明確な答えがあるわけではありません。また、答えがなくても我々は生活しているわけです。

彼のような考え方の人間がいても不思議ではないし、それが我々にとって不可解だとしても彼にとってはそれが不可解であるとは限らないのです。また、逆に言えば彼には、我々の考え方の方が不可解かもしれないのです。

 

ここで大切なのは、何が正しくて何が正しくないのかは別問題だという事。

単に『殺すという行為』そのものは自然界では当たり前にあることであって、否定してはいけません。野生の動物や人間だって生きていくために他の生物の命を奪っています。

でも彼のした『殺すという行為』は日本という国の人間社会の中では許されていません。それはみんなで生活していく上での決まりごとです。だから守らなければならない。

さまざまな考え方を持つこと自体は自由ですが、禁止されている事をしたら罰せられる。そういう縛りの中で生きているんです。

 

物事の真意は案外、単純なもの。ただ、そこに個々の持つ物差しで判断するからややこしくなる。

だから『犯行の動機が不可解』なのは当然であって、必ずしも我々が納得できる答えになるとは限らないのです。

不可解だから『実は共犯者がいるのではないか?』『本当の動機が別にあるんじゃないか?』と決め付けるのはミスリードにつながるのではないかと思います。もちろん、そういう可能性も否定はしませんし、個人的には共犯者がいるのではないかとも思ってます。

でも『彼は本当のことを言っている』という可能性を否定してもいけないのです。

我々が理解できないから彼の言う事はおかしい、というのは個々の物差しで見ているから。だから様々な物差しで見て、考えてみるという事が大切なのではないかな、と思います。

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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