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2006年5月 8日 (月)

座禅せば

皆様こんばんは。

久しぶりにしばらく見ていなかったDVDを十数分だけ見ました。というのもあるきっかけで座禅について考える事があったからです。その時にかつて某作品内でそのことについて触れられている事を思い出し、その部分だけ見たのです。

某作品について知っている人と座禅に興味がある人なら聞き覚えがあるかもしれません。それは大徳寺の開祖・大燈国師の言葉です。

「座禅せば 四条五条の 橋の上 往き来の人を 深山木に見て」

この意味が分からなくて少しだけ調べました。「深山木(みやまぎ)」というワードで「深山木(ふかやまぎ)薬店」という何かの小説ばかりがヒットして少し困りましたけどね。

このうたの背景として、大燈国師のいた時代に出家した人と在家の人とどちらが偉いかという議論になったそうです。次第に座禅をするには出家した方がいいということになったらしいのですが、大燈国師はそんな議論を批判してうたたったそうなのです。

うたの意味をものすごく簡単に言うと、座禅には場所は選ばないんだよ、どんな場所でも座禅が出来る場所なんだよってことらしいです。

そこで、最初に出てきた某作品の言葉。このうたにはさらに境地に至るうたがあるそうです。

「座禅せば 四条五条の 橋の上 往き来の人を そのままに見て」

つまり行き来の人を「深山木」に見てしまうことに無理があるのです。だから「深山木」と見るのではなく、他人は他人としてそのままに受け止めよという事らしいのです。他人は他人としてそこに存在し、自分は自分としてそこに存在する。

これらの二つのうたですが、すごく深いんだなぁと考えてしまいます。私は座禅の事や仏教にそんなに興味があるわけではありませんが、調べてみると面白いなぁと感じました。ただ、あまりにも情報が少なすぎてこれで正しいのかどうか分かりません。

だれかこれらのうたについて詳しくご存知の方がいらっしゃればお教えいただきたいです。なんか久しぶりに京都に行って、大徳寺の方に直接お話を聞きたくなりました。今度の長期旅行の候補の一つは京都ですね。

大燈国師のお寺だからこそ一休さんのような偉いお坊さんがいたのかもしれませんね。一休さんの考え方に近いような気がしますしね。

今日はこれでおしまい。お疲れ様でした。

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コメント

こんにちは。
大燈国師のこの歌の意味は大体こんな感じだと思います。

四条五条の橋の上のような人がたくさん行き交う場所でも
私の心は、まるで深い森の中にあるように
静かでみたされている。

現代風に言えば渋谷の雑踏の中にあってさえ
私の心は何物にも影響されることなく
深く静かな心境に在る・・・・。

十牛図でいえば第五図の午悟の修行中にある
国師の心境なのでしょう・・・。

しかし、この歌実は、国師の師匠に
「なっとらん!」と一喝されたとかされないとか・・・。
理由は、「静かだなぁ」と感じる「我」が
残っているから悟りではないのだそうです。

禅は深いです・・・・。

投稿: 坐禅大好き | 2006年10月25日 (水) 01時28分

坐禅大好き様
こんばんは、ようこそいらっしゃいました。書き込みありがとうございます。

この歌にはそういう意味があったのですね。私も少し調べて、この記事に独自の解釈を書いたのですが、「静か」と感じることに我があって、悟りを開いていないということなのですね。

禅は本当に深いですよね。でもこうしていろいろと考えてしまう私なんかは、悟りとは程遠いですよね。

自然体に流れのまま受け止める、あるいは身を任せることが、悟りにつながるのかもしれません。

非常に勉強になりました。ありがとうございました。

また、機会があれば当ブログにお越しください。これからもよろしくお願いいたします。

投稿: 管理人 | 2006年10月25日 (水) 23時58分

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